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鉄のカ-テンのすき間を飛ぶ天使と悪魔-米ソ冷戦時代 [歴史]

今でも、対馬海峡をうろうろしているようですが、米ソ冷戦真っただ中の1960〜70年代、ソ連(ロシア)の戦略偵察爆撃機Tu-95が、日本海沿岸の領空すれすれを偵察飛行していました。もちろん、当時の航空自衛隊戦闘機が北海道の基地からスクランブル発進して、Tu-95を監視していました。当時でもソ連の核は水素爆弾(水爆)で、1〜数発で日本列島が吹っ飛ぶと言われていたものです。核の脅威といっても、現代とはけた違いでした。

一方、1966年に日ソ航空路が開設され、ソ連の旅客機が羽田空港へ降り立ちました。 

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(航空70年史-2,朝日新聞社,1970より)

このTu-114型は、日本海を脅かすTu-95爆撃機の兄弟で、胴体以外の基本設計はほぼ共通です。上の写真では残念ながらわかりませんが、小さいながら JAPAN AIR LINES と昔のJALの鶴丸マークの表示を付けたTu-114型機で、日本航空の客室乗務員も乗務していました。ウィキペディアのTu-114の写真を良く見ると、JAPAN AIR LINES の表示がわかります。

(11.16追記)同じ頃(1969年)、スイスは核攻撃に脅え、シェルターを作っていたわけです。日本の戦後の歴史も自虐的に見てはいけませんな(笑)。スイスより日本の方が、二股外交で中立的だったかも知れません。

今でも北方領土問題は解決していませんが、日露関係は緊迫しているわけではありません。日朝関係も非難合戦だけではなく、こういう具合にだましだまし、金(キム)のカーテン?を開かせるように行かぬものでしょうか。

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